ブックタイトルフリーマガジンあばやvol.11(ルックル)
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フリーマガジンあばやvol.11(ルックル)
南種子町平山の広田遺跡は、今からおおよそ千七百年前の弥生時代から、千三百年前の古墳時代にかけての集団埋葬の遺跡です。 弥生時代は、水稲の栽培が定着し、各地に小さな集落や国が出来ていった時代です。そしてまた、各地で領土をめぐっての争いが絶えなかった時代でもあります。やがて古墳時代へ進むにつれ、力のある国が領土を拡大し、たくさんの小国は統合され、いくつかの大国となり、その中の一つであった大和朝廷が国を併合し、現在の日本の礎が築かれていきました。 この日本という国のかたちが作られた時代。種子島では独自の文化が花開きました。この時代の代表的な遺跡である広田遺跡からは、九〇基の墓と百五十八体の人骨が、良好な状態で発掘され、それぞれが美しい貝のアクセサリーを身に着けていました。その数は何と四万四千点にものぼります。 これらはさまざまな貝を使用し、加工品の種類も多彩であり、中には「山」という文字の刻まれた貝符もあり、国の重要文化財に指定されています。 また、原料となる貝の中には種子島近海には生息しないものもあることから、広田遺跡の人々が海を越えて他の地域と交流をもっていたことがわかりました。 そして、このように貝殻を使って多彩で多量の装飾品を作り、身を飾る文化は、日本列島で類例がないことから、広田遺跡は国史跡に指定されたのです。 広田遺跡ミュージアムは、この国史跡のガイダンス施設として、今年の三月にオープンしました。さらにミュージアムに隣接する遺跡周辺を公園として整備し、遺跡とともに種子島の美しい自然を楽しみながら散策することが出来ます。日本が、国として確立する、更に古い時代の人々の気持ちを、味わってみて下さい。広田遺跡ミュージアムへ行こう!!Let's go toHirota Site Park !????????????????????????????????????????広田遺跡ミュージアム入り口広田遺跡 南側墓群と広田海岸取材協力:南種子町教育委員会01 TANEGASHIMA FREE MAGAZINE「AVAYA!」