Miyan(みやん)2012年vol.5 ルックル

Miyan(みやん)2012年vol.5 ルックル page 38/48

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概要:
 一五四九年、ポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に来日した時から西洋ガラスの製法が伝えられ、「ビードロ」「ギヤマン」と呼ばれ珍重されました。 「薩摩切子」は、第10代藩主島津斉興が一八四六年に....

 一五四九年、ポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルが日本に来日した時から西洋ガラスの製法が伝えられ、「ビードロ」「ギヤマン」と呼ばれ珍重されました。 「薩摩切子」は、第10代藩主島津斉興が一八四六年に江戸よりギヤマン師亀次郎を招き、薬品容器の製造を始めたのが発端で、一八五一年、島津斉彬が第11代藩主に就任したことを機に、色被せ切子を造り、薩摩ビードロの名を世に高らしめました。その後、ガラスの製造は切子という技法と共に隆盛を極めましたが、斉彬の急逝と一八六三年の薩英戦争によってガラス工場も灰燼に帰してしまったのです。 約一二〇年の時を経て、一九八五年(昭和60年)、斉彬ゆかりの磯の地で再び「薩摩切子」の復元が始まりました。 その際に、宙吹き師として東京より招かれたのが加藤征男(薩摩びーどろ工芸(株)社長)です。 「薩摩切子」の復元を成功させた後、さらに一六〇年前の薩摩切子を忠実に復元したいと、一九九四年(平成6年)薩摩びーどろ工芸(株)を設立し、「薩摩切子」の中でも最も古い伝統を持つ、黄色・緑を用いた「薩摩切子」の復元に成功しました。師との出会い 私は、一九九二年(平成4年)当時18歳。手に職を持ちたいと思い、その頃鹿児島でも大ニュースだった島津薩摩ガラス工芸の門を叩き、復元された薩摩切子の伝統の技と心を伝える「吹き師」への修行が始まるのです。 そこで、弊社の加藤社長と出会い、偉大な職人としての本物の技と心を間近に感じ、身が震えたのを今でも鮮明に覚えています。 慣れない頃は、一四〇〇℃位に溶融したガラスの着いた工房を訪ねて…薩摩びーどろ工芸株式会社鹿児島県伝統的工芸品指定  薩 摩 切 子吹き竿が怒号とともに飛んでくる程の厳しい世界で、邪魔にならない様に作業するのが精一杯でした。技を目に焼き付け、実際に試行錯誤しながら経験する毎日を過ごしているうちに、いつしか作品を作らせてもらえるようになっていました。 そこからも勉強の毎日。いろいろな知識と技の習得に挑戦して参りました。しかし、まだまだ職人技には終わりはありません。初心を忘れず探求心を持ち、常にいろいろな事に挑戦し続けていきたいと思います。物から伝わる想い 以前、お客様からの修理依頼を受けました。その使い込まれた作品を手にした時、器を通してその方の想いが伝わってくるのを感じました。自分たちの作品が、お客様一人一人の生活の中で、小道具として活躍しているものを作っている。いろいろな風景が浮かびその方の真心や人生までもが写し出されているように感じました。 時代の流れとともに生活様式は変化ます。しかし、人の生活で変わらないことや日常の小さなドラマの中に、私達の作品があることは職人冥利に尽き、何にも代え難い喜びです。大切に愛用いただいている事への感謝の気持ちでいっぱいになりました。これからも皆様に愛される作品づくりに精進して参りたいと改めて思います。縁の下で ガラスの世界では、一般的に「切子師(カット師)」が注目されますが、私たち「吹き師」といって、カットをする「生地」と言われるガラスの器そのものを作る職人がいます。 我が社では、宙吹きという技法を使い、ひとつの小さな作品の生地でも、実際に人の息を吹き込み、そのひとつひとつに心を込めて製作しています。 このような吹き師の存在は、普段はなかなか表舞台に出ることが少ない「女房役」と言ったところでしょうか。 しかし、社内では、お互いの職務があるからこそ、美しく調和のとれた薩摩切子が生まれると考え、各々を認めています。常に素晴らしいものを作るために、切子師との綿密な研鑽を重ね、お互いの気持ちをひとつにして手作りならではの味わいのある薩摩切子の制作を目指します。 何の変哲もなく単純に見えるものこそ、重要な根幹を成すものと認識し、日々精進して参ります。 その生地に全霊をこめる、吹き師の技と心も皆さまに感じて頂ければ有難いと思います。 今回は、さつま町の薩摩びーどろ工芸(株)をご紹介致します。 ガラスを初めて発見したのは、ある船乗りだったそうです。砂浜で焚き火をする際に傍らにあった岩塩で風囲いを作った処、偶然にもその岩塩が熱で溶けて砂と反応したことから始まりました。日本では、勾玉、管玉の装飾品が最古のものと言われます。それから人類の飽くなき研鑽を経て現代の吹きガラス技法を応用した薩摩切子の製品は作られています。まがたまはい じんなりおきなりあきらいろかぶど ごうちゅうぶきくだたまEー10MAP:Dー11本社/薩摩郡さつま町永野5665番地5 TEL 0996-58-0234支店/霧島市牧園町高千穂3240番地   霧島高原まほろばの里「がらすの館」 TEL 0995-64-4700(工場長)吹き師  野 村  誠 さん38