Miyan(みやん)2012年vol.5 ルックル page 44/48
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E-mailでの送信先は、こちらのQRコードをご利用ください。あなたのお便りをお待ちしております。次号の締切りは10月20日です。▲ 年末頃から、夫がMiyan をもらって来てくれます。楽しい特集を2人で見て「....
E-mailでの送信先は、こちらのQRコードをご利用ください。あなたのお便りをお待ちしております。次号の締切りは10月20日です。▲ 年末頃から、夫がMiyan をもらって来てくれます。楽しい特集を2人で見て「今度は、ここへ行ってみたいな?」とワクワクした気持ちになります。もちろんバッグの中に入れて行った場所も数カ所あります。1ページづつ、ゆっくり読めてお茶タイムの友にもなります。これからもっと知らない場所など教えてください。 O・Kさん (出水市)有難うございます。素敵な思い出をたくさん作って下さいネ !! 「がんばっぺ!南三陸魂」 6月に夫の実家である薩摩川内市に埼玉から帰省した際、このMiyanに出会い、幾度かメールさせて頂きました。 私の実家は、宮城県の南三陸町です。皆様がご存知の通り昨年3月の東日本大震災は、言葉にならないほど悲惨で甚大な被害をもたらし、大切なものを全て飲み込み破壊しました。あれから1年以上を過ぎ、何も無くなってしまった南三陸町で「家を建て直す事に執念を燃やす」私の兄を紹介します。 私は七人兄弟の末っ子。長男の兄は責任感が強く朗らかな優しい人です。 昭和38年頃、山津波(鉄砲水)で川岸にあった我が家は流され、新しい家を買うことになりました。父親の出稼ぎする収入はあてにならず、母は慣れない海でワカメなどを採り、リヤカーで売り歩いて生計を立てていました。そんな中、兄は中学卒業と同時に働き始め、家の支払いや生活費、私達兄弟の学費など全ての支払いを引き受けてくれたのです。 やがて、兄貴は目出度く結婚しましたが、当時の宮城では生計が困難で、結局兄貴も東京へ出稼ぎに行きました。就職して平穏な暮らしは束の間、勤務先の社長が夜逃げして倒産。しかし、兄達の直向きな努力の甲斐あって会社を建て直し、現在はその工務店の社長として忙しい毎日を送っております。 そのような折、突如今回の東北最大の地震と津波に遭遇したのです。地震直後、兄は車に最低限の物を積込み走った。辿り着くのかも分からないまま東京から一睡もせずに宮城に向かった。途中の道路が寸断され、迂回や後戻りを繰り返し、帰路を急いだのです。南三陸に着いたその夜は真っ暗闇で不気味なほど静まり、夜も明けない早朝から、大きな声で愛する者を探し求め、あちこちで歩き回る姿。瓦礫が道を寸断し、それ以上進めないとしても攀じ登ろうとする人々。自分の泥まみれになった手足の負傷など、もろともせず決して心は折れなかったようです。折れたら自分の心が空っぽになる事を皆知っているのでしょう。悲壮感の漂う中、兄も望みを捨てず帰り着いたそうです。 我が家の兄嫁は、津波が目前に迫り危険な状況。高台に向かい足下に迫る寸前の所に、周囲が手を伸ばして頂き危うく難を逃れました。兄は全員無事な事を知り、ひとまずは安心したそうです。 翌日には自衛隊やボランティアの方々の様々な支援が始まった。我が家は半壊の為に何も支援されず、特定の避難所しか配給されない非常事態。強盗が動き出してる恐怖の中、家に戻り片付けを始めた。レポーターの方も私共には非情な人種に見えました。「そんな余裕と設備があるなら…」とも言えず、寒さや恐怖に苛まれながら長い冬を過ごし「近隣との助け合い」で何とか一年で家らしく、住める状態にしていただいた事を感謝していました。 兄貴の歩んで来た道程は大変なことばかりでした。幾度も踏まれ、落とされ、裏切られても堂々と立ち向かい、笑顔を絶やさない素敵な我が兄貴です。「一言の愚痴も言わず、いつも笑顔」私達兄弟にも優しく、嫁・息子・孫と一家を支え、心折れる事なく頑張っています。兄貴には感謝しきれません。「ありがとう兄貴!!」 以前の見慣れた街はもうない。小高い所に市役所が建ち、その周辺は今でもテレビやボランティアの方々が来られて賑わう毎日です。 皆様からのご支援いただいている沢山のお心遣いや励ましに感謝致します。家族や地域との絆を大切にし、隣人を助け合いながら、お亡くなりになった方々に託された命として生きて参りたいと思います。大きな事はできませんが、小さな夢を描き、また一歩ずつ踏み出します!! 「がんばっぺ!南三陸魂」 H・Tさん (さいたま市) 被害に遭われた皆様の、一日も早い復興とご健康を心よりをお祈り致します。※コメントは、200文字以内に納めて下さい。長い場合は割愛させて頂く場合がございます。※ご投稿頂く内容の他に、氏名・住所・年齢・プレゼント のご希望商品名とMiyanの入手先を明記の上、ご応募下さい。※応募多数の場合は抽選とし、次号へ移行掲載させて頂きます。また、好ましくないものは掲載できない場合がございます。※お送り頂いた内容は、当コーナー以外には使用致しません。尚、写真・画像等は、返却致しませんので予めご了承ください。E-mail aira@shinsei-p.co.jpお便りコーナー昨 水生まれの私は、昔、鹿児島 本線であちこちに行きました。どこに行くにも汽車の時代でした。トンネルで鼻の穴が真っ黒になってしまったり、ゆっくりとした車窓から海が見え隠れする様が昨日のことのようです。 JRになってから肥薩おれんじ鉄道と新幹線に分かれてしまいましたね。便利さは何かを置き去りにしそうです。昔は良かったなぁと思います。 T・Kさん(霧島市)心の風景は褪せませんまた探してみるのもいいですね !!出 めてMiyanを手にしまし た。小冊子ながら写真いっぱいで楽しく読めました。霧島国分に屋台村があるのを記事で初めて知りました。鹿児島中央駅前の屋台村は何回か行ったことがありますが、霧島の屋台村はレトロチックで、また面白そうです。ぜひ、行ってみたいと思いました。 M・Aさん (鹿児島市)霧島市も色んな元気を発信しています。ぜひ遊びに来て下さいネ !!初44