みやん vol.8 ルックル

みやん vol.8 ルックル page 20/48

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MAP:B-6出水の地に残る数多くの武家屋敷 江戸時代、徳川幕府は一国一城制をしきました。島津氏は鶴丸城を本城としそこに住む武士を城下士、ほかの土地に住む武士を郷ごう士しと呼び、郷士の住む地域を外と城じょうと称し、薩摩には百十三の外城があり、ここ出水武家屋敷群はその中でも最大の外と城じょうでした。外城の中心を「麓」と呼び、今も多くの武家屋敷が残っています。 ここ出水麓武家屋敷群は、約四〇〇年前から三十年ほどの歳月をかけ、東西七百五十メートル、南北八百メートルの起伏の多い丘を整地し、道路を造り、川石で石垣を築いたと言われております。 当時、屋敷の面積は約五百?六百坪、百五十戸の屋敷から成り立っていました。現在は、約三十五件の武家屋敷と二十三の武家門を見ることができ、中でも「竹添邸」や「税所邸」は、出水市麓武家屋敷として一般公開されています。屋敷内では案内人が武家屋敷の造りや当時の生活の様子を詳しく語ってくれます。 ここで必ず紹介するのが、「出いず水み兵へ児こ修しゅう養よう掟おきて」。これは、出水の名地頭、山田昌厳が示した教育の掟であり、当時を生きた出水の青少年たち、そして今を生きる私たちにも通じる教えです。 「生き続ける 街並みと 先人たちの面影」出水麓武家屋敷群。 皆様のご来邸をお待ちしております。出水麓街なみ保存会 坂上出水麓街なみ保存会  出水麓武家屋敷群出水駅から南へ車で約五分。約四〇〇年ほどの歳月を経た石垣と樹齢何百年ともおもわれる庭木が並ぶ武家屋敷群がある。通りにある武家門の存在が、歴史を感じることのできる街路景観を醸し出しています。ここ出水麓武家屋敷群は平成七年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。20